健康長寿の鍵 ~乳酸菌発酵液~
バイオジェニックス健康法
東京大學名誉教授 光岡知足

乳酸菌発酵液によるバイオジェニックス健康法

乳酸菌生産物質の系譜

 乳を乳酸菌で発酵した食べ物、「発酵乳」は、ヨーロッパ大陸からアジアにわたる広い地域とアフリカの一部で、太古の昔から保健効果のある優れた保蔵食として常飲されてきました。古くからある世界の代表的な発酵乳だけでも、北欧のヴィリー、テッテ、イメール、ロシアのケフィール、クーミス、東欧のヨーグルト、モンゴルのアイラグ、インドのダヒなど多種多様です。
 メチニコフは、ブルガリア地方に長寿者が多く、しかもそこでヨーグルトを愛飲していることに注目し、ヨーグルトを摂取すると、その中に含まれるブルガリア菌という乳酸菌が腸内にすみついて腐敗細菌を駆逐し、長寿を保つことができると考えました。これが有名な「メチニコフのヨーグルトによる不老長寿説」です。
 しかし、やがてブルガリア菌は腸内にすみつかないことが明らかとなって、ヨーグルトの不老長寿説も一時下火となりました。 その後、1924年頃から腸内で増殖できる乳酸菌を使用して発酵乳をつくるという考えから、ヒトの腸から分離したアシドフィルス菌を用いた発酵乳「アシドフィルスミルク」などが提唱されましたが、それらの乳酸菌も腸内にすみつくことはありませんでした。1960年代になって、ヒトの腸内にはビフィズス菌がアシドフィルス菌よりはるかに多いことが明らかとなって、1968年、ドイツでビフィズス菌の入った発酵乳「ビフィズスミルク」の製造が提唱され、日本でも1977年頃よりビフィズス菌の入った発酵乳や乳酸菌飲料が製造・販売されるようになりました。
 日本で牛乳がはじめて利用されたのは、5世紀の頃、百済から搾乳法が伝授され、6世紀頃には日本中に国営の牧場がつくられ、ここで加工品、「酪」「酥」「醍醐」といったものがつくられていました。 「酪」は現在のヨーグルトのようなものと考えられます。 1919年、三島海雲が、モンゴルの発酵乳からヒントを得て、殺菌酸乳(殺菌乳酸菌飲料)「カルピス」をつくって販売し始めました。
 一方、正垣角太郎はメチニコフの不老長寿説の影響を受け、1914年、長男・正垣一義の協力を得て、「天寿会」のヨーグルト事業を開始しました。1924年、正垣父子は、ヨーグルトの製造にブルガリア菌、アシドフィルス菌、乳酸球菌、酵母菌を用いて長時間(120 時間)発酵させた濃厚な液状乳酸菌飲料「エリー」を宅配として発売しました。その頃から、正垣一義は京都大学の近藤金助教授および木村廉教授の指導を受け、1936年には4種類から8種類の菌の共棲培養に進み、「ソキンL」を完成、1945年には16種類の共棲培養にまで増やしました。同年、正垣一義は、西本願寺の法主大谷光瑞師の指導により、植物性タンパク質(大豆)培養基で16種類の乳酸菌共棲培養による乳酸菌生産物質の開発にとりかかり、研究開発の方向を生菌より分泌物に転換し、1932年には乳酸菌分泌液とともに菌体物質の抽出に成功し、1934年「智通」の製造販売を開始しました。現在、乳酸菌生産物質には種々の製品があり、それぞれの使用菌株や製造方法の内容はほとんど開示されておらず、その効用については使用体験談が多数報告されていますが、医学的に検証されているものはきわめて少ないのが現状です。
 1955年、代田稔はヒトの糞便から分離したカゼイ菌(当時はアシドフィルス菌と称した)を用い、ヒトに保健効果をもたらす乳酸菌飲料「ヤクルト」の販売を始めました。


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